コラム

自分らしく生きる

2023年6月
松本

クライエントさんとお会いする時、その人が「自分らしく生きる」ことを大切にしようと心掛けています。「自分らしく生きる」ことを別の言い方にするならば、自らの自然な気持ちや素の感覚を、その人自身がありのままに感じながら生きること、と言えるかもしれません。ただ、これはクライエントさんに対してのみでなく、自分自身がそうありたいと願っている生き方でもあります。今回は「自分らしく生きる」ことについて、私自身の経験から書いてみようと思います。

子どもの頃のことを振り返ってみると、自分の生き方について大きな疑問を感じたり、深く悩んだりすることはそれほど多くありませんでした。もちろん、「友達はああいう性格だけど、自分はこういう性格だからな」とか、「周りの人(例えば、親、学校の教師、友達など)からあなたはこういう子だねと言われるから、きっとそうなんだろうな」などと考えることはあったと思います。けれども、あくまでその程度で、少なくとも子どもの自分にとってそれはそんなに大きな関心事であったり深刻な問題であったりはせず、それよりも目の前の暮らしを、日々の生活をただただ送っていたような気がします。    
 しかし、年齢を重ねていくにつれて、だんだんと自分の生き方に疑問、違和感、心配を抱き、悩むことが増えていきました。例えば、「自分はどうしてこういうことが言えない(できない)んだろう。どうして友達のようにできないんだろうか?」、「どうして自分はこんなちょっとのことで不安になっちゃうんだろう。周りの人は不安にならないんだろうか?自分が他の人よりも特別にダメなんじゃないか」、「自分はすぐに傷ついちゃうな。感情が無くなったら楽なんじゃないか…ロボットのようになれたら苦しくないかもしれないのに…」、「こんなことで自分はこれから先やっていけるんだろうか?このまま生きていくのは辛くて嫌だな」など、具体的に挙げればキリがありません。こういった疑問、違和感、心配、悩みは、人間関係がうまくいかなかったり、日常生活の中で壁にぶつかったりした時はもちろんのこと、特に何事もなく平々凡々と過ごしている時や、周りの人からすると問題なく過ごしているように見える時であっても、いつも自分の心のどこかにあるような感じがしていました。そのせいで、気持ちがイライラしたり落ち込んだりすることも少なくなかったように思います。そして、こういった状況をとにかく何とかしたいという焦りや不安から、「自分はこんな人間じゃないはずだ!」とか「もっとこうでなきゃダメだ!」とあえて自分らしくない振る舞いをしてみたり、「こういう狭い世界にいるからダメなんだ。世界が変われば何かが変わるに違いない!」と環境をガラッと変えてみたりすることもありました。しかし、そういったことをしたからといって、「自分らしく生きる」ことができていると心から感じられることはほとんどなかったと記憶しています。

以上の経験は、心について学んでみたいという想いに繋がり、自分がこの世界に入る大きな動機となりました。そして、その後いろいろと学んでいく中で、自分が抱いていた疑問、違和感、心配、悩みなどの原因のひとつとして、自分自身の自然な気持ちや素の感覚を、例えば「これが好きだな」、「あれは嫌だな」、「これをしたいな」、「あれはしたくないな」、「これは楽しいぞ」、「あれはつまんないな」、「すごく悔しいな」、「ひとりで寂しいな」といったことを、周りからどう思われるか気にするあまりに自分でも分からないうちに隠したり、表現しないようにしたりしていることに気づかされました。これは、自らの自然な気持ちや素の感覚を感じたり表現したりすることよりも、周りに合わせて波風を立てないよう振る舞っていた、と言い換えることができるでしょう。いや、自分自身の自然な気持ちや素の感覚を諦めることで自分の心を平穏にしようとしていた、と言う方が核心に近いかもしれません。さらに、あえて自分らしくない振る舞いをしたり、環境をガラッと変えようとしたりするところに、無理な力みがあったことにも気づかされました。
 それ以降、変に力まずに自然体でいること、すなわちありのままの自然な気持ちや素の感覚を感じ、「自分らしく生きる」ことをとても大切に思うようになりました。しかし、だからといって、今現在「自分らしく生きている!」と胸を張って言える訳ではありません。なぜなら、「自分らしく生きる」ことを願ってはいても、やっぱり周囲からどう見られるか不安になったり、自分の心の平穏を優先してしまったりすることがあるからです。また、「自分はこれこれこうだから人目を気にしているんだな」のように、自分の心を頭でっかちに理解・描写するだけでは、「自分らしく生きる」ことに本当には繋がらないという難しさを感じているからでもあります。

このように、「自分らしく生きる」ことが自分自身まだまだできている訳ではありませんが、それでも、あるいはだからこそ、これからも自分らしい生き方を探していきたいと願っていますし、もし同じように感じている人がいるのであれば、「自分らしく生きる」ことについて一緒に考えていきたい、そう思っています。