コラム

拒食症 ~「ただ頑張っただけなのに…」~

2022年08月
倉田

最近ではTVだけでなくYouTube、TikTok等多様なメディアが使用されています。その中では、華やかに活動している人々の姿を目にすることができ、時にその様子は憧れを感じたり、非常に魅力的なものに感じることがあるでしょう。
「こんな風に私もなりたい」…どうしたらなれるのだろう。そのような気持ちを抱いているところに、“身長と体重を公開!”“タイプの女性はこんな人(体重何キロ)”等書かれている動画が目に入り…「そうか!もっと痩せないと!」
 ネット検索をしてみると、すぐに芸能人・モデル・YouTuberの体重は、BMIだといくつぐらい、芸能事務所等に所属すると少なくともBMIがいくつ以下になることを要求される場合もある等といった情報を目にすることができます。※BMI=肥満や痩せ度合の判定に用いる指標。  
 “痩せていることが美しい”といった概念を生み出す環境は、まだまだ無くなることが難しいものであると感じます。

今回は摂食障害の中でも、神経性やせ症(拒食症※)に焦点をあてていきたいと思います。※拒食症の概念については、末尾に記載。

私は拒食症の方々と接する中で「決して誰にでもできるものではないことをやり続ける根性のある人」とまず感じます。まるで良いことと推奨しているかのようにも聞こえる言葉かもしれませんが、そこには拒食症に悩んでいる方々が口にする言葉の中で痛切さを感じる言葉があるのです。それは「…ただ頑張っただけなのに」。
 人間には、生きていく上で重要な3つの欲求の総称として、“三大欲求”というものがあります。一般的に日本では“睡眠欲”“性欲”そして“食欲”といわれています。そのような生物の本能的な欲求を制限することは、簡単なことではないと思うのです。「もっと素敵になりたい」「認められたい」「見返したい」「(スポーツ等で)より向上したい」「決めたことはやりきらないと」等、きっかけとなる動機は様々です。そうした目的に少しでも近づくために「頑張っただけ」。ただそうした行動を追求している間に、いつの間にか自身の体や心等多くのものを犠牲にして、あるいは犠牲にしていることさえも気づくことができないような状態に至っているのではないでしょうか。

拒食症の方々の生活の中では、奇異の目で見られている感覚を得たり、「今の時代、0㎉の食べ物や低糖質レシピ等便利なものがたくさんあるのだから、上手く活用して食べれば良いのに」等とその苦しさに理解を得られない場面も多くあるように感じます。食べ物の量を厳密に計り、調理に使われている油や調味料のカロリーさえも気にしてカロリー計算をする。食物のもつ質量さえも気になったり、水分の摂取さえも怖い。下剤を乱用してでも排便・脱水を最大限促し、少しでも体重を落としたい。1日に何度も体重計に乗らずにはいられない。少しでもカロリーを消費したくて、止まっていることができない。…こうした生活をイメージした時、どう感じるでしょうか。
 症状を克服する過程においてもそうです。「食べれば良いだけ」「それだけ既に痩せているのだから、ちょっと食べたって何も問題ないんだから良いじゃん」等と簡単に捉えられたり、食べることを無理強いされることがあります。

しかし、私は、そんなに簡単な問題ではないと感じるのです。なぜならば、症状に気付き、克服を決意した先には、最も恐れてきたであろう「食事」が必ずついてくるからです。食事をとることは、様々なことを犠牲にして得た体重・体型から変化することを意味します。
 私たちの暮らしにおいて食は、栄養補給としての意味だけではなく、ご褒美やストレス発散、またコミュニケーションに隣接するものでもあります。加えて、生命の維持に必要な栄養補給を十分に行うことのできていない状況では、無月経や髪の毛が抜け落ちる、体力が落ちる、体毛が濃くなる、貧血等身体の望ましくない変化も生じてしまいます。そうした様々な犠牲をはらって得たものが今の体重・体型なのです。そうであるからこそ、そこまでして減らした体重・体型はそう簡単に手放すことのできるものではなく、自信であり肯定感そのものであるとも言えます。そのような拒食症の方々が克服を決意し、食事と向き合うことはどれだけの恐怖・抵抗を伴うことであろうかと感じてやみません。

そして、拒食症の方々と接する中でもう1つ大きな苦しさを感じる場面があります。克服を決意し、どうにかして食事と向き合おうと思っても、人間にとって大きな“食”という欲求を長らく制限させていた“飢え”の状態で食事を目の前にすると何が起きてしまうのか。場合によって、回復する大切な過程の1つであれど、コントロールを欠き“過食状態”へと転じてしまうことがあるのです。どれだけ「過食したくない」と強く思ってもコントロールができない食欲、そして食べてしまった後に待っているのは「美味しかった」という満足感や幸福感とは程遠い強い罪悪感や自分への嫌悪感情。食べ物を食べているというよりもすでにお腹は一杯なのに泣きながら食べ物を口に詰め込む苦行のような行為。これまで誰にでもできることではない“頑張り”を続けてきた先に、本能との戦いと向き合うこととなったその姿を見たとき、私は心底苦しさを感じずにはいられないのです。

今回は拒食症に焦点をあててきましたが、拒食症だけでなく、摂食障害を抱えているご本人様の苦しさは深いものがあると考えます。ご本人様だけでなく、周囲のご家族様も同様で、命の危険とも関わりがあるからこそ抑えることのできない大きな心配を抱えていらっしゃると思います。どちらも1人で抱えていくことはあまりにも辛いのではないでしょうか。向き合う・克服することが苦しい道のりであるからこそ、専門的知識も味方につけてその過程を歩み、少しでも苦しさを軽減することができればと思うのです。よろしければ今抱える苦しさ、そしてその状況を変える道のり一歩ずつを、共に歩むことができればと強く思います。

神経性やせ症(拒食症)とは  
 さまざまな理由から食事を制限して低栄養に陥る疾患です。アメリカ精神医学学会によるDSM-5という診断基準では①低体重②肥満恐怖あるいは体重増加を妨げる行動の持続③自己評価が体重の影響を強く受け、低体重の深刻さが認識できないなどの特徴が挙げられています。
 食事量が少ない「摂食制限型」と過食嘔吐があって低体重の「過食・排出型」があります。痩せて綺麗になりたいという動機とは限らず、生来完全癖や挫折体験など複数の要因の因子が重なって発症します。  
 診断基準以外にも、過活動などの行動上の特徴があり、無月経、骨粗鬆症、肺機能障害など身体症状も伴いやすい疾患です。栄養補給や心理的援助が行われますが、本人は病気を否定して受診が遅れがちなので、周囲の早期の受診勧奨が重要でもあります。
(平成27年度厚生労働科学研究費補助金障害者対策総合研究事業 摂食障害の診療体制整備に関する研究 平成27年度研究報告書p9~13より)