コラム

人は色んな一面を持っているというお話

2022年4月
田中

皆さんは仕事や学校から家に帰ったときに「何かがあったわけではないんだけど、何となく疲れたな…」ということはありますか?もちろん、外に出るという肉体的な疲労もあると思いますが、もしかしたらこれからお話しすることも関係しているかもしれません。

人は仮面を被って演じている

人は社会の中で生きていくと、ありのままの自分では十分にパフォーマンスを発揮できない場合があります。そこで、社会の中での自分というものを意識して、社会から見て望ましい姿に映るように振る舞う必要も出てきます。『ホタルノヒカリ』というドラマでは、家ではビール片手に縁側でゴロゴロしている干物女の主人公が、会社ではバリバリのキャリアウーマンとして働く姿が描かれています。このとき主人公は、ゴロゴロしている普段の干物女としての自分を一度封印して、会社で求められるであろう真面目な姿を、自分の中にある一面から取り出しているのです。このように、人はその時々によって、その場にふさわしい仮面を被って『演じている』ともいえるでしょう。
 中には、与えられた役割に沿って振る舞う人もいます。例えば、会社では厳格な上司を演じているけども、家では穏やかな一面を見せるなんてことは往々にしてあるものです。また、制服-コスチュームを身にまとったタイミングで、例えば医師として、警察官として、サラリーマンとしてなどの仕事のモードに切り替わって、それぞれの仕事に適した振る舞いをしていくものと思われます。
 さらに、接する相手によって振る舞いが変わることもあります。例えば学校において、友達の前ではお茶目な自分、先生の前では勤勉な自分といったように、同じ場所でも振る舞いが違うことがあるでしょうし、家族の前での自分もまた違う一面を見せることがあるかもしれません。

仮面
求められた役割を演じる『ペルソナ』と抑え込む『シャドウ』

このように人が社会において、求められた役割を演じる機能やその一面を表す概念を『ペルソナ』といいます。そして、求められる役割にふさわしくない自分の一面を抑える概念を『シャドウ』といいます。どちらも心理学者のユングが名付けました。
 こうして人は演じることで社会の中で適応することを可能にしているのですが、演じる自分-ペルソナと抑えている自分-シャドウとの間に大きなギャップがあるときに苦しくなることがあります。またはペルソナの割合が大きくなって、過剰に適応しようとすることで葛藤が生まれ、ペルソナによって抑えられているシャドウがひょっこり顔を出し、「本当の自分はどこなんだい?」と惑わせて迷子になることもあります。ペルソナは社会の中で生きる上で必要な存在ではありますが、ペルソナに支配されないよう、場面に応じて上手に仮面を使い分けたり、その着脱をコントロールできることが大切になってきます。

ペルソナとシャドウ
ペルソナとシャドウを共存させるために

大事にしていただきたいのが、ペルソナとシャドウはどちらも自分の一面であるということです。どちらかを切り捨てるものではなく、ペルソナとシャドウのバランスが保たれた状態が理想と思われます。
 では、シャドウとペルソナとをどうやって仲良く共存させたらよいでしょうか。まずは、自分はどのようなペルソナやシャドウを持ち合わせているかを知ることが必要です。社会の中で自分がどのように振る舞っているか、振る舞うべきと考えているか、自分の価値観や所属している社会の風土を知ることです。そして、社会の中で抑えている自分の一面はどのようなものか、そもそも抑える必要があるのか、などを吟味できるとよいでしょう。
 特にシャドウは自分でも気づきにくい場合があります。シャドウに気づくポイントとしては、相手に投影された自分の感情に気づくことが挙げられます。例えば、『真面目でしっかりしている』という一面をペルソナとして持ち合わせている場合に、不真面目に手を抜いている他者を見ると、なんだか腹が立つことがあるかもしれません。なぜ腹が立つのかというと、実は自分の抑え込んでいるシャドウが『不真面目でだらしない』という一面で、抑えずに表に出している他者を羨ましく感じるからです。シャドウは受け入れられないと色濃くなってしまう側面も持ち合わせているので、もし自分の中のシャドウを見つけたら、認めてあげることが大切です。

ありのままの自分を受け入れること

冒頭に述べたように、会社や学校に行くと訳もなく疲れる人の中には(もちろん、一概にそれだけの要因とは限りませんが)、何かを演じていることでの気疲れを感じている可能性が潜んでいるかもしれません。
 カウンセリングをご利用される方の中にも、ご自身の振る舞いが何となく上手くいっていないという不全感を抱いていたり、社会の中で演じていくうちに本当のご自身を見失い、へとへとになって疲れた状態で来られることは少なくありません。私がカウンセリングにおいて日々感じるのは、そのご苦労に対して「本当にお疲れ様です」という思いとともに、ご自身を疲弊させた考え方や行動そのものは、同時にご自身が今日まで生きるために頑張ってこられた一面でもあるので、大切にしてほしいという願いです。ご自身がどのような価値観や捉われの中に身を置いていて、どういった一面があり葛藤しているのかを一緒に整理していく中で、最終的には『ありのままの自分』を受け入れられるようにお手伝いできれば幸いです。

ありのままの自分