コラム

傷つけたいわけじゃない
~ある登場人物の声を借りて~

2020年10月
倉田

唐突ですが、私が本の中で出会った、ある1人の女性について紹介したいと思います。

おもちゃが床じゅうに散らばり、使いすておむつがごみ箱からあふれ、粉々に潰れたクラッカーが散らかっています。灰皿には吸殻が山積み。そのような部屋の中で「いったい全体、私はここで何をしているの?」。子どもたちのお昼寝中、1人孤独な静寂の中。落ち着きません。仕事中の夫へ電話をかけてどうにかしようとします。電話に出た秘書の喋り方・対応の1つ1つが気になり、自分を攻撃しているように感じます。怒りを感じる一方で、仕事中の夫に電話をかけてしまっている自分に惨めさも感じます。電話に出た夫へもいざとなると言葉が出ません。夫は仕事中なので、やんわりと忙しい事情を説明します。すると、不安な気持ちがもう溢れ出して止められなくなってしまい、怒りだします。夫の発言1つ1つが自分を攻撃しているもののように聞こえてしまいます。夫は仕事中なので、より対応に困ってしまいます。その様子をキャッチして「こんな私うんざりでしょう!」。夫から見捨てられる不安から涙が溢れますが、強い口調は止まりません。心の中では、どうして自分を抑えることができないのかと悔やみ、夫のような良い人を自分のせいで苦しめてしまっていることに心を痛めます。涙を止められない自分を責めます。「仕事を全てキャンセルする」と夫は言います。「私のことつくづく嫌になったでしょう」。夫に「そんなことない」と言われても思いは止まらず、受話器の前で身動きがとれなくなってしまうのでした。

またある時には、財布を探す夫がいます。自分が失くしてしまったことに気が付きますが、自分をかばうようにむしろ怒鳴ってしまいます。結局財布は見つかるのですが、夫から責められると感じ、自分から「夫が悪かった」と責め立ててしまいます。その態度に怒る夫を見て、より抑えられなくなる感情。表面上の態度とは相反して“ちゃんとできない自分“に苦しみ、うめき声をあげます。「もうこれ以上我慢できない」という夫の言葉を受け、家を出ていきます。夫へ外から電話をかけて「私なんかいないほうが幸せになれるでしょうね」と言い捨てて電話を切ってしまいます。夫は必死に探しまわり、何とか見つけ出すのでした。
 その後も、コントロールを逸して荒れくるう竜巻のような状態が続きます。子どもの視線さえも、自分を攻撃しているかのように見えてしまいます。その視線に耐えられず、子どもへも罵声を浴びせてしまいます。絶対になりたくないと誓った姿に自分がなってしまっていることに気づき、生きる理由を見失ってしまうのでした。
 ここから精神科病棟へ入院することになり、その後長く付き合っていくことになる治療者との出会いを果たします。そして、彼女を中心とし、夫、子どもそして治療者それぞれが、それぞれの立場から必死に向き合っていく過程が描き出されていきます。

私には、この女性が、自分をすり減らしながらも、一瞬一瞬を精一杯に生きている姿が浮かびました。ある種、とても純粋で、真面目な人柄を感じました。しかし、こんなにも真剣に自分や夫、子どもと向き合い、大切に思っているにも関わらず、本心とは相反する言動から誤解されてしまいやすく、それがもどかしくもあり、悔しくもありました。きっと誤解のない、安心感のあるコミュニケーションがとれたら、お互いにとってもっと楽に生きることができるのだろうなと感じる一方で、それができない彼女の今にも理由があるのだろうと感じました。

夫もとても愛にあふれた存在だと感じました。彼女のことを大切に思い、全力で理解し、向き合おうとしてくれる家族がいることで、彼女はどれだけ救われているのだろうと感じました。自分のことをこんなにも大切に思ってくれる人がいること、ぜひ彼女に伝わってほしいなと感じてしまいます。ただ、それだけ全力だからこそ、疲れることもあるのではと思います。時に、自分を大切にする感覚が置いてきぼりにさえなってしまうのではと感じました。それはきっと彼女は望まないことだろうと思いました。

この女性は、“境界性人格障害(境界性パーソナリティー障害)”と診断され、治療者との出会いを通じ、自分と向き合っていくその様子を克明に描き出した、ノンフィクションの物語の主人公です。本のタイトルは『ここは私の居場所じゃない~境界性人格障害からの回復~』。細かい字で700ページ超。なかなかに分厚い本です。本の最後では「何とかやっていけそうです。もっともっと成長していくつもりです」と締めくくられています。

カウンセリング・心理療法の治療場面というものは「まったく同じ」があり得ない分、イメージがわきづらいのではないかと思います。本著ではそのような治療場面の1例を、とてもイメージしやすく表現されていました。

治療が必要であると認めることのできない自分、傷つくことを恐れ、治療者を試すかのような言動、治療者への信頼感が増すとその気持ちを追いかけるように湧き上がってくる、見捨てられることへの不安、そしてこのような葛藤を共に並走した治療者だからこそ、治療者という存在を超えて魅力的に感じてしまったり…。“できる”と希望を感じられる日もあれば、絶望感に飲み込まれてしまう日もある。本当に一進一退。少しずつ自分と向き合っていきます。自分と向き合うことは、口で言うほど簡単なことではありません。とても複雑で、時に逃げ出したくなるような苦痛を伴うこともあるでしょう。だからこそ、1人で立ち向かうのではなく、そっと側で寄り添う誰かがいると、幾分心強いのではないかと思うのです。

世の中には、多様な精神疾患があり、そして多様な治療法があります。それぞれの抱える苦しみは1人1人違い、合う治療法・治療者も異なるでしょう。それぞれのこれまでがあって、それぞれのこれからがある“人”と向き合うカウンセリングだからこそ、絶対的な答えはないようにも思います。カウンセリングの時間は、あなただけの守られた空間です。1人ではどうしようもないことも、ただ苦しみ続けるだけではなく、どうすればよりあなたらしく生きていくことができるのか、カウンセリングを通して考えるお手伝いをぜひ一緒にさせて頂けたらと思います。

参考文献
  1. レイチェル・レイランド(2007)『ここは私の居場所じゃない~境界性人格障害からの回復~』(遊佐安一郎(監訳)佐藤美奈子 遊佐未弥(訳))星和書店