心理療法という何かしら変化を目指す試みや、自分を知るための方法には、いろいろな種類があります。
世に存在するのは、その数500という話もあるようですが、さすがに日本でよく知られ用いられているものは、そこまで多くはないと思います。どのようなものが用いられているか詳しくは当オフィスのホームページ内「カウンセリング・心理療法」や他の「コラム」もご覧ください。
よく知られたものでは、認知行動療法は、認知療法と行動療法を組み合わせたもので、そもそも別のものでした。そしていろいろなツールが新たに加わり改良が続けられているので、いまや単一の認知行動療法と呼ぶにはあまりにも多彩になっていると思います。
また、精神分析的心理療法は、精神分析が発端となりいろいろな学派が生まれ、そして心理療法にも用いられるようになったものです。ですので共通要素はありますが、精神分析や精神分析的心理療法も単一のものではなく、様々な特徴をそれぞれが持った豊かなものとなっています。
そして、カウンセリングという言葉が広く日本で広まることになった、カール・ロジャースの来談者中心療法や先の認知行動療法などは、精神分析からの批判として生み出された心理療法です。そのような既存の心理療法に対する批判、検討により、新しい心理療法が作られたりもするので、数多くの心理療法が存在するわけです。確かにこれがタイトルに対する一つの回答にはなるのですが、もう少し違う述べ方を試みるならば…
「人のこころをどう理解するか?」の違いであると述べることもできると思います。
「こころ」と言われるとちょっと漠然とした感じに思えるかもしれませんので、もう少し絞って「気持ち」とか「感情」に置き換えてもいいですが、「こころ(気持ち、感情)」がどこにどんな風に存在しているのか、いや、そもそもそれはあるのかないのか、ということは意見の一致を得られにくいことでしょう。
例えば、「手の擦り傷」とか「胃潰瘍」とかは目や、胃カメラで見てその存在を確認できるし、見えるということは本人と他の人との間で共有しやすいですね。ところが、「こころ」というのはそれができない。ある人がある体験をした時にどのようなことを感じるか、どのような感情が生まれるか生まれないかは究極的にはそのご本人の中にしかないものです。だから一致を得られにくい。
いろいろな心理療法があると述べましたが、それぞれの心理療法は人のこころのあり方を異なったモデルで理解しようと試みているとも言えるのです。とすれば、どの心理療法が適当かという問題は、そのご本人のこころの在り方によって選択されるのが自然な流れではないかと思います。ですので、そのご本人がこころをどのように捉えていて、困りごとをどう捉えているかを理解することは、心理療法を始めるにあたり重要になるでしょう。
これまで述べた点を踏まえて、とりわけ面接の最初の頃にお話を伺いながら、どのようなことが行われているのかを理解し直すと、ご本人は自分のこころをどうとらえているのだろうか、困りごとや望んでいることと、ご本人のこころの在り方とはどう関係しているのだろうか、また、どう関係していると思っているのだろうか、あるいは関係していないと思っているのだろうか、そのようなことをあれこれ思いながら、どういう心理療法が適切そうか、必要そうか、そのようなことを私たちカウンセラー(心理療法を行うという意味ではセラピストあるい心理療法家と呼ぶほうが適当かもしれません)は考えてもいると言えるかもしれません。
最後に、カウンセラーが異なればこのような捉え方は異なりもするし、持ち味を発揮できる心理療法も違うので、あくまでも一例として流し読みしていただいて構いませんが、まず最初にいらした時にどのような事が行われているのかのご参考になればと思います。