コラム

「トラウマ(つらい記憶)にとらわれてしまうのは」

2020年1月
山口

トラウマは日本語で「心的外傷」といわれるように、心についた大きな傷です。身体の傷であれば見ることができるので誰もがすぐその問題の大きさを把握できますが、トラウマは目に見えないのでそのダメージが見えにくく、人から理解されにくいのが特徴です。よく「いつまで過去のことにこだわっているんだ」と否定されがちですが、忘れたくても忘れられない苦しさがあり、その解決は簡単ではありません。

身体の傷と同様にトラウマも小さい傷(嫌な出来事)であれば、あまり思い出すこともなく、時間とともに治っていくことも多くあります。前向きに考え直して、それを乗り越えることが人生の糧になることもあるでしょう。

 しかし、災害や事故、暴力被害など「死んでしまうかも」と感じるような強い恐怖のような大きな傷(ショックの強い出来事)の場合は、治療しないまま時間が経過していくと傷が悪化して深刻な症状を引き起こすことがあります。深刻なトラウマが生じた場合の特有の反応を「トラウマ反応」といい、①侵入症状(フラッシュバック)、②過覚醒、③回避・麻痺などがあります。具体的な例は以下の通りです。

①侵入症状(フラッシュバック)
 ・思い出したくなくてもその出来事や関係することを勝手に思い出したり考えたりする
 ・その出来事や同じような感覚になる悪夢を繰り返し見る  

②過覚醒
 ・神経が興奮してハイテンションになりやすい
 ・大きな音や攻撃的な声にビクッとする
 ・眠れなくなる、寝ていても目が覚めやすくなる  

③回避・麻痺
 ・嫌な記憶に関連する物に関わるのを避ける、考えないようにする
 ・何も感じない、ぼーっとする
 ・現実感がない、記憶があいまい

強いストレスがかかった後は心身ともに警戒している状態が続くため、一時的に上記のような症状がみられることは自然なことで、これらの症状が出たからといってすぐに病気やPTSDになったというわけではありません。自分のいる状況が落ち着いて、安心感を取り戻せる環境の中にいられれば、次第に症状は落ち着いていくことが多いです。

しかし、出来事の恐怖感が強烈だった、大事な人や物を失った、その後の環境で安心感が持てなかった、などの要因が重なることで、その症状が強い状態が長く続いていて日常生活に支障が生じていると、PTSD(心的外傷後ストレス障害)という状態になっている可能性があります。もし、そういった状態であれば、精神科・心療内科や公認心理師・臨床心理士などの専門家へ相談した方がよいかもしれません。

近年は従来から言われている「PTSD」という概念の多様性が指摘されるようになり、新しい国際的な診断基準に「複雑性PTSD」という診断が加わりました。これまでのPTSDは事故・事件や災害など、1回だけの強いショックな出来事が想定されていましたが、虐待やDV、イジメなど、1回では終わらず長期間に渡って繰り返し被害を受けてきた人の状態は、一般的なPTSDでは説明しきれない症状があることに注目が集まるようになりました。1回だけのトラウマより複数回のトラウマの方が、安全感のない危険な状態が短期間よりも長期間である方が、トラウマを受けた時期の年齢が大きくなってからより小さい頃の方が深刻な影響があり、それだけ多く傷を受けているため治療が難しくなります。

複雑性PTSDにつながるような身体的・心理的・性的・教育的虐待,ネグレクト,親から親への暴力の目撃の経験を持つ子どもや成人に見られる複雑性PTSD の特徴的な症状は以下の通りです。

  1. 気分の不安定さ:子どもの場合には癇癪の爆発,成人女性の場合には月経前の制御困難なイライラも含む
  2. 記憶の断裂:1 日以内の食事内容を想起できない,記憶が途切れることがよく起こる
  3. 時間感覚の混乱:生活リズムの慢性的な狂い,眠気の消失を含む
  4. フラッシュバックの常在化:ふとしたときに思い出す、何もしていない状態で思い出す
  5. 生理的症状と心理的症状が相互に区別ができない,その結果として生じる慢性疼痛
  6. 希死念慮,他者への慢性的な不信,自傷,その一方で非現実的な救済願望

上記のような特徴は、気分の落ち込みや不眠からうつ病と見られたり、イライラなどの衝動性の強さからADHDなどの発達障害と見られたりすることがあり、正しい治療につながらないことがあります。また、虐待など幼少期からのトラウマ体験がある場合、単にトラウマ反応があるだけでなく、本来なら安全な愛着関係の中で育っていく人への信頼感がうまく育っていないため、人といる中での安心を感じにくく、薬を飲むだけの治療ではうまくいきません。

トラウマへの治療は、触れることがつらくて考えないようにしてしまうトラウマに対して、避けようとすることをやめて、触れても大丈夫な状態になっていくことです。薬の治療をしていてもなかなかよくならないという場合には、こういった問題が背景にあるかもしれません。トラウマから生じる症状は薬で楽になる部分はありますが、トラウマの治療という視点から見ると、薬の治療だけに頼って考えないようになってしまうと、トラウマを遠ざけようとしている状態になってしまい、本当の意味での治療からは遠ざかってしまいます。トラウマに触れることは非常につらいために簡単には触れられずに嫌な記憶に蓋をして、長く苦しむことになりがちです。薬での治療以外にも、何もしていない状態は嫌な記憶がよみがえりやすいため、常に何かに没頭していようとゲームやスマホ、動画、ギャンブル、アルコールなど色々なものに依存をしてしまうこともあります。

では、つらい記憶を無理やり思い出していけばいいかというとそうではなく、やり方を間違えてしまうと悪化してしまうこともあります。触れることがつらいトラウマを扱っていくためには、①普段の生活に安心感があって余裕があること、②トラウマ反応を理解してつらい状態になっても自分でできる対処法を学んでいること、③安心できる相手に対して無理のない範囲で扱っていくことの3点を大切にしましょう。トラウマを扱うための余裕を作る目的で薬での治療を行うことは有効だと思います。

近年はトラウマに関する理論の発展に伴って生まれてきたトラウマを言葉で扱わなくても治療できるEMDR、ブレイン・スポッティング、TFT(思考場療法)、ソマティック・エクスペリエンシングや、愛着の問題の修正に焦点を当てたAEDP(加速化体験力動療法)やスキーマ療法など、様々なセラピーがあります。つらいトラウマで長く苦しんでいても、カウンセラーとともに向き合ってみようと思えるようお手伝いができたらいいなと思っています。

 

参考文献
  1. 杉山 登志郎 (2019) 誠信書房「発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの治療」