コラム

愛着からみる安全基地としてのカウンセリング

2018年6月
山口

カウンセリングにいらっしゃる方から、「自分の状態は病気でしょうか?」と聞かれることがしばしばあります。とても難しい質問だなと感じていますが、その人の状態をお聞きしながらお答えしています。

例えば、小さいころから基本的には親に愛されて友達にも恵まれ、つらく感じる出来頃があっても乗り越えられ、自分自身にそれなりの自信が持てている人が、嫌な上司からひどいパワハラを毎日受け続けて、ひどく気分が落ち込むようになり、いつも「自分はなんてダメな人間なんだ」などとネガティブなことばかり考え、意欲もなくなって、何でもないことでも自信が持てなくなりました。「あれ、なんかおかしいぞ」と違和感を持つようになるでしょう。

これは強いストレス環境に置かれることで生じるうつ病だと思われます。本来の自分の状態と異なる様相が生じているのは「病気」という感覚に近いといえるかもしれません。こういったタイプのメンタルの問題は、比較的心療内科や精神科での薬の治療や環境調整の効果が現れやすいでしょう。周りの人から励まされることで、もともと持っている自分を肯定できた感覚を取り戻し、元気になることもあるでしょう。

では、先に挙げたようなうつ病といえるような状態が生じていたとして、その人の背景がもっと恵まれていない場合はどうでしょうか?小さいころから親が感情的で、「なんでそんなこともできないんだ!」などといつも激しく怒られ、いつも怒らせないように顔色を伺いながら家でもおびえていて、自分に自信がないからおどおどしてしまうので学校でもいじめられ、「お前なんか死ねばいい!」「クズ!」などと存在を否定されるような言動を受けてしまいました。そういう人が大人になって、先のような症状を持っていたとして、それは「病気」といえるでしょうか?

本来得るべき人に対する安心感や自分自身への肯定感が持てない状況のままずっと育ってしまった人にとって、物事をネガティブに感じてしまうことは違和感がない当たり前の状態になってしまいます。その人が自分自身をネガティブに感じることが当たり前の環境だったことよるもので、自分自身を肯定的に捉えられる健康な部分が育っていないことが問題であり、一時的にそういう状態になる「病気」という感覚とは違うかもしれません。薬を飲んでも自分自身を肯定できる健康な部分が育つわけではないので、症状は和らいでも根本的な解決にはなりません。周りの人から励まされても、自分を肯定できるポジティブな感覚を持ったことがないので実感がわかず、ポジティブに思えない自分が悪いとより落ち込んでしまうかもしれません。

ご説明したような問題を理解するのに、「愛着」という視点が役に立ちます。近年、「愛着」は新しく生まれている心理療法の理論にも多く取り入れられており、とても注目されている理論の一つです。「愛着障害」という言葉で目にしたことがある人もいるかもしれません。

「愛着」は養育者とのつながりのことを指し、母親の愛情を受けにくかった環境で育った子どもは様々な問題を呈する傾向があると注目され、特定の養育者との結びつきが幼い子どもの成長にとって不可欠な役割を果たしているということが明らかになりました。養育者との間で感じられる安心感が「安全基地」として機能して、子どもは安全基地があることで養育者のもとを離れて様々なチャレンジをすることができ、社会的にも情緒的にも多くの経験を積み、安定した人格を形成することができます。

養育者の安全基地の機能によって子どもにどのような違いが生じるのかということを調べるために、「ストレンジ・シチュエーション」という実験が行われました。その内容は、まず見知らぬ部屋に1歳児の子どもと母親が入り、その後に見知らぬ大人が入ってきます。その後、母親は子どもが遊んでいる間に気づかれないようにいなくなり、しばらくしてから戻ってくるという状況を作って、子どもの様子を観察します。子どもの反応は大きく4つの特徴に分けられました。これらの4つの型は、ただ1歳児のときにそういう傾向がみられたというだけではなく、大人になってからも同様の傾向が続いていることがわかっています。それぞれの特徴は以下の通りです。

回避型

子どもは母親がいなくなっても特に気にせず遊んでいて、母親が戻ってきても特に関心を示さず遊び続ける。普段から母親に甘えることが少なく、関係が希薄な傾向がみられる。回避型を示す子どもの親の傾向として、子どもの働きかけに対して、拒否的に振る舞うことが多く、身体的な接触や微笑みかけが少ない無関心な対応をすることが多い。一方で、子どもの行動を強く統制しようと過干渉で支配的な態度をする親の子どもにも回避型の傾向がみられる。大人になってからも、自分の感情や身体感覚に鈍感で、人を頼ったり甘えようとしたりせず、弱音やつらさを表に出さないで、体の症状を出しやすい。物事の捉え方として、事実と向き合ったり振り返ったりすることを避ける傾向がある。

両価型

子どもは母親がいなくなると過剰に不安が強くなり、母親が戻ってくるとしがみつき、なかなか遊びには戻らない。一方で、母親が抱こうとすると腹を立てたり拒絶したりするなど、相反する行動がみられる。両価型を示す子どもの親の傾向として、子どもの発しているメッセージに気がつかなかったり逆に過剰に反応したりして、子どもの行動や気持ちを適切に調整することが苦手なことが多い。子どもとのやり取りが少ないわけではないが、子どもの欲求に応じてではなく、母親の気分に合わせて生じていることが多く、子どもからすると同じことをしても親の反応が一貫していなかったり、反応してもらえるタイミングがずれていたりする。大人になってからも、周囲の顔色をうかがう傾向が強く、過剰に愛情や承認されることを求める傾向が強い。物事の捉え方として、怒りや不安といった感情に飲み込まれやすい。

無秩序型

子どもは母親と再会しても、母親を向かえて抱き着いて床に倒れこむ、そっぽを向いたまま近づくなど、母親への接近と回避が同時に起こっているような奇妙な反応を見せる傾向があり、母親を愛着の対象と同時に恐怖の対象として感じている傾向がみられる。無秩序型を示す子どもの親の傾向として、子どもから見て虐待に感じられるようなことをしていることが多い。身体的な虐待に限らず、支配的や否定的な態度の心理的な虐待でも同様の傾向がみられ、被虐待児の80%がこの傾向を示すというデータもある。大人になってからは、愛着の傷つきから人格の統合がうまくいかず、目の前のつらい現実を意識や記憶を飛ばすことや何かに依存して身を守ろうとする傾向がある。物事の捉え方として、ある程度の内容は客観的に捉えられるが、愛着の傷つきに関する内容に触れると途端に客観性が失われ、思い込みや感情に巻き込まれやすい。

ここにあるような愛着から生じる問題は、先に説明したように病気というような一過性の問題ではなく、育った環境の中で身に着いた傾向です。こういった書き方をすると、親が問題の根源のような見え方をしてしまいますが、愛着の問題を抱える子どもの親も愛着の問題を抱えている傾向があることが研究では示唆されており、世代間の連鎖が生じていると考えられます。安定型ではなかった場合、きちんと安全基地となる人間関係を持って、愛着の問題を修復していくことがなかなか解決できなかった人間関係の中で生じる問題を変えていく可能性があります。カウンセラーは親の代わりにはなれませんが、カウンセリングで自分の感情や欲求を表現して、それをカウンセラーに受け止めてもらうという体験が安全基地となって機能すると、自分のことを肯定できるようになり、変化を起こすチャレンジが可能になっていくのです。

引用・参考文献
  1. 岡田尊司(2016):愛着障害の克服 光文社
  2. 下山晴彦 編(1998):教育心理学Ⅱ 東京大学出版