コラム

「逃げるは恥だが役に立つ」は役に立つ

2018年2月
くまがい

突然ですが、2016年に放送され話題になったドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」ご覧になられましたか?
同名の漫画が原作です。

さて、今回はこのドラマで描かれている人達について少しお話をしてみたいと思います。
このドラマの主人公と主人公に近しい人達が抱える思いに、ある共通点があるように思えます。
「世間一般とは違う私、少数派の私」
そんな自分を必要としてくれる人なんていないのではないか、
本当に自分が居てもいい場所はどこにあるのだろうか、
どこか一抹の不安を抱えているように思えます。

もちろん、原作者は、意図的にそう設定したのではないかと思います。
その上で恋愛要素も絡めつつ、そこに留まらない私たち現代人の生き方について考えさせられるテーマを定着させているように思えます。

具体的にどのような人達が登場するかといえば、主人公は”臨床心理士”の資格を取りつつも希望する就職に恵まれず、派遣の仕事に就いても契約を切られてしまった女性です。
もう一人の主人公である男性は、仕事をそつが無くこなし家事代行を雇う程度の収入がありますが、女性と付き合った事がなく、その事を人に知られないように隠しています。

他にも子供ができて間もなく旦那の浮気が原因で離婚したシングルマザー、ゲイ、帰国子女、などなど、それぞれに世間の人とは違う自分を抱えて悩みつつも懸命に生活しています。

その中で主人公の女性の伯母にあたる女性に注目したいと思います。
彼女は、仕事面では苦労しながらも管理職となり地位を築いています。
しかし、私生活ではなぜか男性に警戒的で未だ独り身のアラフィフ(50歳前後)という設定です。

ところが、そのアラフィフ女性は一回り以上年下の男性から好意を持たれ、さらにその男性に好意というか関心を持つ女性が現れます。
その若い女性がその男性をめぐりアラフィフ女性に対して張り合う場面があります。
若い女性は二人の年齢差を強調して「いい歳をして」と男性から手を引くように求めます。
それに対してアラフィフ女性はこう言います。

「あなたが切り捨てたものは、あなたが向かっていく未来。
あなたが馬鹿にしたものになるって辛いのでは?
私たちの周りにはそんなたくさんの呪いがある。自分に呪いをかけないで」と。

人は他者に対する妬みやうらやましさなどから、時に、他者を切り捨てたり、他者の価値を低く見積もろうとする所があるのかもしれません。
でも、他人に向けたものはおのずと自分にも向けられている。
人はその事になかなか気づきにくく、自分は自分、他人は他人と切り離して考えている。
その事を「呪い」と表現しているのではないでしょうか。

しかしその「呪い」の仕組みを考えれば、人と人を完全に切り離して考えるには無理があるのでしょう。
現代は、地域のつながりはもとより家族のつながりもますます希薄になっていると言われています。
だから、ますます自分と他人を切り離す事で、「呪い」の言葉をかけやすくなる。
その「呪い」が自分をも傷つけることになるとも気づかずに。

冒頭でドラマの登場人物たちの共通点を挙げました。
「世間一般とは違う私、少数派の私」
この視点にも自分自身に対する「呪い」の要素があるのかもしれません。
自分は世間一般とは違うので人から受け入れられないと思っている。
自分には安心して居てもいい場所がないと思っている。
といったように。

具体的にどう思っているかは人によって異なるでしょう。
しかし「と思っている」という所が肝心です。
確かにそのような事実もあるかもしれません。
つらい思いもしてきたかもしれません。
その事を否定するつもりはありません。
しかし、その状況に自分で自分に「呪い」をかけてますます「誰にもわかってもらえない一人ぼっちの私」と思ってしまっている、という事も同時にあるのではないでしょうか。

もし身近にお気持ちを話せる人がおられるならば、それはとても貴重な事です。
そうでない場合、こちらの様な「こころの相談」を利用されるのもよいかもしれません。