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2019年3月 児島 

 

  ここ最近、日本のテレビドラマに臨床心理士や精神科医など心の臨床に携わる職種を見かけることが多くなりました。福山雅治が臨床心理士を演じる『ラブソング』、堺雅人が精神科医を演じる『Dr.倫太郎』。新垣結衣が演じる『逃げるは恥だが役に立つ』の主人公も臨床心理士という設定でした。『明日のやくそく』というドラマにもスクールカウンセラーが出ていました。このようにほとんど毎クールどこかの番組に出ているように思います。心のケアに関心が向けられる時代なのでしょうか。

 

 自分たちの職種が一般の方々からどのように見られているのかな、と気になったので私も数年前からできるだけ観るようにしていました。ところが観てみると、現実の臨床場面とは異なる演出・脚本にしばしば出くわします。特にカウンセラーとクライエントの関係性や枠組みについては首をひねってしまいます。ドラマだから仕方ないのかもしれません。視聴率のために過剰な演出が必要なのでしょう。一方で、期待していなかったわりには案外おもしろくて笑ってしまう、うっかり泣いてしまうなどということもありました。なぜ笑ってしまったのだろう、泣いてしまったのだろうと振り返ってみると、そこには現実とはずれているようで真実を突いているテーマが流れているように思うのです。

 そこで今回のコラムでは、最近のテレビドラマについて「ドラマの話だから・・・」では終わらせず、現実の臨床との対比から心のケアに対して人々が抱いている期待について、特に心の臨床家とクライエントの関係性に焦点を当てて考えてみたいと思います。

 

 日本のドラマに出てくる多くの臨床家は、クライエントに対して家族や恋人や親友のように振る舞います。極端な例では頻繁に連絡を取りあったり、一緒に食事をしたり、休日に一緒にどこかへ出かけたりする場面もあったように記憶しています。そこまで極端ではなくても面接室の中のふるまいが私にはフランクすぎるように思われるのです。ジェンガをしながら軽く恋愛相談をするという演出もありました。もちろん実際のカウンセリングでも緊張の強い方や若い方とお会いする際には、少しでも話しやすいようにトランプやジェンガをしながら、ということもありえます。緊急時にはカウンセリングの時間以外で連絡を受けることもあるでしょう。ただ、それらはあくまでもクライエントが安心して話ができることや精神的な危機や命の危機を乗り切ること、その結果、より良くあるための方向性を見出してクライエントが前に進むのをお手伝いするためなのです。まるで楽しく過ごすことがカウンセリングの目的であるかのような演出には、心の臨床家としては戸惑いを感じてしまいます。しかし、このような描写が頻繁になされるのには理由があるのだろうと思います。つまり自分の大切な話は、家族や恋人や親友のように聴いてほしいという願望が私たちの心の中に根強くあって、それをドラマ制作者は具現化しているのでしょう。そういったものを観て、心の中だけでも楽しみたいという私たちのニーズをうまく捉えて視聴率につなげたいという、日本のドラマ制作者の意図が見え隠れするようです。

 

 一方で海外ドラマでは心の臨床家のふるまいやクライエントとの関係性にそれなりのリアリティがあるように思います。やはり海外ではカウンセリングやセラピーが身近なものとなっているからでしょうか。『In treatment』というドラマでは、主人公であるセラピストがクライエントに対して専門家としての立場を保とうと努力しますが、セラピーの経過の中でいろいろなことが起こり、専門家としての枠組みから外れそうになったり、時には外れてしまったり、という状況が描かれています。セラピストの側にクライエントとの距離を保とうとする意志が表現されているという点では日本のドラマとは異なり、ある程度のリアリティを感じます。また、月曜日から木曜日まではオフィスでセラピーを行い、金曜日にはセラピスト自身がスーパービジョンという個人指導を受けに行くという生活スタイルも、臨床心理士にとってはなじみ深いものではないでしょうか。セラピスト自身のプライベートも描かれ、面接室では治療者然としていてもさまざまな問題を抱えている一人の人間であることが描かれている点も、現実的だと思います。

 しかしこれだけリアルなドラマであっても、クライエントとの関係性が専門家としての枠組みから外れるかどうかということがストーリーの軸となり、時にクライエントとの距離が保てなくなるという点では、日本のドラマでも描かれていた「カウンセラーには家族や恋人や親友のようであってほしい」という願望を象徴的に表したものになっていると言えます。

 

 ドラマは現実とは違います。ドラマの中では人は簡単に恋に落ちるし、大事なところで都合よく奇跡が起きるし、人が死んでも二時間でちゃんと事件が解決します。淡々とした日常なんてみんな見飽きているのですから、わざわざテレビで観ようなんて思いません。私たちはドラマの中に、現実ではできないけれど、心の中に起こっていることを求めるのです。

  自分にとって大切な誰か、自分の事を一番に大切に思ってくれる誰かに、自分のことを理解してほしいし受け止めてほしい。私たちはそうした願望を心の中に抱いています。そしてその願望を、心のケアをしてくれる人に満たしてほしいという気持ちがひっそりと存在しているのではないでしょうか。現実にはないと知りながらも国内外のドラマで繰り返し同じテーマが描かれるのは、そうした気持ちのあらわれなのだろうと思いました。

  このように現実でありながら現実ではないし、錯覚でありながら錯覚ではないようなものが現れる場を、精神分析家ウィニコットは「中間領域」と呼びました。カウンセリングやセラピーではこのような場が形成され、内的世界と外的世界の間で遊ぶことでクライエントは徐々に現実を受け入られるようになっていきます。心の臨床家は願望に応えてくれそうで、そうではない、でも時にはそんなふうにも感じられる・・・。そんなイメージの中で遊ばせてくれるドラマもまた、中間領域と言えるのかもしれません。
 
 

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